20日、今朝の京都新聞に京都自治体問題研究所が作成したサイト「京都戦後民主運動・歴史資料アーカイブ」が大きく紹介されている。
戦後の京都の労働運動や民主運動を直接経験していない今の若い世代の人にぜひみてもらいたいし、当時の運動を闘った方にも振り返る機会になる優れものである。
かく言う私も京都に来たのは40年前であり、アーカイブにある闘いの一部しか知らない。
まだまだ眠っている写真や資料は多くあると思われる。さらに掘り起こして充実させて欲しいものだ。
このサイトづくりに着目し、資料収集に奔走し、作成された池田豊研究所事務局長はじめ関係者のみなさんの努力に心からエールを送りたい。感謝p(
^_^)q
(更新日:2017年08月22日)
18日、久々の議員団会議。この間の全国集会、各種大会や研修会で学んだものを交流しながら、当面の活動について議論し確認。
更に、8月の初旬に工事強行された市美術館のモニュメント「空にかける階段’88-Ⅱ」の破壊行為に対する抗議声明を検討して確認し直ちに発表した。
美術館再整備を進める中で、美術館が貴重な収蔵品を自らの手で破壊する前代未聞の暴挙、愚挙である。市長の見識が問われている。以下、声明の全文を紹介します。
一、8月8日、9日の二日間にわたって、京都市は市美術館に設置されている富樫実氏作成のモニュメント「空にかける階段’88-Ⅱ」(以下、本作品)を切断撤去するという暴挙を行いました。これは、収蔵品を守るという責任を放棄し、自らの手で破壊するものであり、美術館の歴史に重大な汚点を残すものです。
本作品に関しては、美術館と作家グループが作品の保存の在り方に関して話し合いをしている最中でした。前日の話し合いにおいても作者は「切断は受け入れられない」と切断を拒否していたにも関わらず一方的に工事を強行し、本作品を破壊したことに強く抗議するものです。
一、そもそも京都市は、市美術館の収蔵品である本作品を「5つに切断撤去する」ことを提案し、作家をはじめ関係者や議会からの強い反対を受け撤回しました。その後、美術館は作家との間で「作品の再展示については、可能な限り現状を維持することを原則とする」とし、三項目(①一旦取り出して現在地で再展示する、②再展示は再オープンを目標とする、③再展示の方法はすり鉢状の形状を基本として考える)の確認書を交わしました。その上で、確認内容は「美術館と作家で再展示について協議することを確認し、今後この内容から検討を進める」としていました。
一、重大なことは、確認書で合意し、作家・関係者と協議を重ねていたにもかかわらず美術館が一方的に工事を強行し、しかも「切断せずに一旦取り出す」とする確認書の合意を反故にして、「工法の変更は了承されなかったが、工事を了承してもらった」と根元からの切断を強行したことです。作家と作品に対する重大な冒涜であり、作家と関係者から抗議の声が寄せられたのは当然です。
一、今回の問題は美術館だけの問題ではありません。芸術文化行政に対する市長の見識と政治責任が問われています。にもかかわらず、今日に至るも市長から一言も説明がなく、無責任のそしりは免れないことを強く指摘するものです。
(更新日:2017年08月22日)

16日、お昼前に駒ヶ根から京都に帰ってきた。
3日間で芝刈りから始まり、友人らと堆肥小屋を造り、腐食防止のペンキを塗り完成。山羊小屋の敷き藁を入れ替え掃除をして藁を収納する棚を造った。
最近は電動ノコギリやねじ釘を打ち込む電動釘打ち器があり、仕事はあっという間にできる^_^
初日に愛車がオーバーヒートしたのはショックだったが、15日には孫の1歳の誕生祝いをしてもらい、シェフの美味しい手作り料理や美味しい地酒も堪能し、とても充実した3日間だった。
みなさんお世話になりました(^_−)−☆
心残りは、涼しい信州で夏風邪をひいたみたいで、せっかく信州に来たのに温泉に入られなかったこと(≧∇≦)
(更新日:2017年08月22日)

駒ヶ根の2日目の朝は曇り空。
モーニングはが娘が昨晩仕込んで、シェフが今朝焼きたてのパンに畑で採れた野菜やハムなど挟んで、これまた畑で採れたジャガイモでつくった温スープ。
休憩して本日の仕事は堆肥小屋づくり。
まずキットをこしらえ、大ドリルで穴を掘って丸太を木槌で打ち込んで、横板を電気ドリルと金づちで打ち込んでいく。
さっちやんパパと共同作業であっという間に囲いが完成^_^お昼を食べてあとはペンキ塗りだ。
(更新日:2017年08月22日)

13日、盆休みに信州の友人宅へ、友人と私の妻と娘、娘夫婦とさっちゃんで朝決起して出発。
名神から中央道へ、大した渋滞もなく走った。
ところが恵那山トンネルまえのサービスエリアで突然エアコンが効かなくなり、窓を全開してひたすら駒ヶ根に向けて走行車線を走った。
インター降りてガソリンスタンドに入ってボンネットを開けるとしっかりオーバーヒートしていた(泣)。が、恵那山トンネルの中でエンジンが焼けていたら大変やった(≧∇≦)
親切なスタンドの職員が近所の修理工場をあたってくれたがみな盆休み。そこで、任意保険のロードサービスに相談するように勧められて連絡してみると、なんと初めてのサービス利用だったせいか、京都の知り合いの業者の店まで自費負担なしに搬送してくれるという^_^
さらに、駒ヶ根にいる間のレンタカーも保険の範囲で借りられることになった^_^しかも今乗っている車より大きい綺麗な車やった。
エンジントラブルには参ったが、おかげでいい経験をさせてもらった。
まごのさっちやんもおとなしい犬(パティ)を怖がることなくじゃれ遊び、ヤギ(ユキ、ハナ)には少し怖がっているのが面白い^_^
(更新日:2017年08月22日)

広島から京都への帰り道。いつもは山陽道から帰るのを変更して中国道へ。
目的は、かつて京都で一緒に活動し、家の事情で東城町に帰り、しばらくして町会議員になり、その後の町村合併で庄原市会議員を勤める谷口隆明さん宅を訪問すること。
ナビに助けられながらなんとか着いた宅は、世羅の実家と負けずとも劣らない自然いっぱいだった。
フェイスブックでよく見るヤギ、イヌ、蒔ストーブ、可愛い孫ちゃん、ヤギの笑い顔が面白いp(
^_^)qそして低農薬と有機のコメとエゴマの栽培など見せてもらった。
ちなみに谷口さんは、町議、市議通して8期目になる議員としても大先輩である。
(更新日:2017年08月22日)
昨日の夕方京都を出発して、シンデレラになる直前に広島の実家に到着。
今朝起きたらとにかく涼しかった*\(^o^)/*
朝ご飯食べさっそく定番の草刈りに精を出した。草刈り機でバッタバッタと刈るとストレス発散、快感。途中で蜘蛛の巣発見!
東京都議選で日野市で活躍したビッグシャツが広島でも大活躍してる
(更新日:2017年08月22日)
9日、3日間の原水禁世界大会・長崎が閉幕、閉会総会には7千人が参加したと発表された。
台風直撃で開会総会に参加できなかった四国の代表が加わり、会場は開会前から満員、満席。気持ちだけでもと場内の写真を撮って、やむなくスクリーンのある第二会場に移動。
長崎の被爆者である松谷英子さんが被爆の瞬間とその後の苦しみと言われなき差別、裁判闘争の勝利をかちとる話をされた。最後に「私たち被爆者に残された時間は多くない。核兵器のない世界の実現を」「ノーモア・ヒバクシャ」と力強く訴えた。
何度聞いても被爆者の生の話はリアルだ。帰りのバス車中での感想だし合う中でも、「被爆者の語り部を初めて聞いてショックだった。改めて核兵器はなくすしかないと強く思った」と言う感想が多く出された。
禁止条約の批准を広げる運動、ヒバクシャ署名の推進とともに、被爆の実相を広げることが、唯一の被爆国である日本の原水禁運動である。
また、感想の中では「また機会があれば大会に参加したい」「帰ったら職場や地域で報告会をします」という声も多く出された。
私も代表団の一員として、大会と参加者からがんばる決意と勇気をいっぱいもらった。
(更新日:2017年08月22日)


8日、原水禁世界大会・長崎二日目は分科会。
私は昼から始まるフォーラム「政府とNGOの対話」に参加する計画にして、午前中は長崎の文化探索に、グラバー邸と大浦天主堂を回った。長崎は坂の街、と言われるように坂道が多い。従って至るところにエスカレーターや動く歩道が設置されていて助かった(苦笑)
昼は定番の長崎チャンポンを食して、いざフォーラムの会場に。移動する手段は電車。120円の値段で必要な乗り換えの際には乗り継ぎ券を渡してくれる優しい電車だった。
フォーラムは、核兵器禁止条約採択を受けてオーストリア政府代表、フランス、アメリカのNGO、日本原水協代表がパネラーとして登場。
それぞれから禁止条約の意義と各国での取り組みが紹介され、各国の事情と課題がよくわかった。質問コーナーでは、若い世代を巻き込んでいく取り組み、北朝鮮の核開発への対応、唯一の被爆国である日本政府が条約にサインしないのはなぜか?、など出されてパネラーから的確な回答とキャッチボールに聞き入った。
改めて禁止条約が世界で歓迎され、核兵器廃絶に向けて大きく動き出していることを実感した
(更新日:2017年08月22日)


9日、台風直撃前の京都を新幹線で出発して原水禁世界長崎大会に。博多からバスに乗り換え世界大会会場に到着。直撃を免れた長崎はひたすら暑い(苦笑)
大会主催者を代表して安斎育郎さんが大会報告。いつも科学者らしい話をされるが、今回は禁止条約と被爆72年を数学的に解明された。
「72は2の3乗×3の2乗アキレス数といい数学的にパワフルだが、一つの数字の乗ではなくパーフェクトでない。これは禁止条約にも言える、122カ国が賛成しパワフルだが、核保有国とその傘下にある国が不参加でありパーフェクトでない。それをしっかり認識して禁止条約の調印国を広げ、廃絶をめざそう」と。なかなか含蓄ある話だった。
7日、原水禁世界大会・長崎の開会総会会場には約6千人が参加と発表。
楽しみにしていたのは中満泉国連軍縮担当上級代表の発言。中満さんは、国連での核兵器禁止条約交渉会議をリードしてきた。
「この条約は核兵器に依存する国くにへの警鐘」「核心は核兵器を否定し、国際法として成文化したこと」とし、「国連は核兵器ない世界という目標へ具体的な歩みを進めるため、すべての国々や市民社会と協力し、いっそう努力したい」と力をこめて訴えた。
とても理知的な話し方をされたが、あとで聞いたら国連で禁止条約が採択された瞬間には、席上でガッツポーズをとられたそうだ。
また、田上長崎市長が長崎の核兵器禁止団体と一緒に壇上に上がり、「長崎からみなさんにエールを送ります」とあいさつされた。京都の知事や市長にも見習ってほしいものだ。
開会総会は予定時間を超過するほど盛り上がり、そのまま宿舎ホテルへ移動して京都代表団の合流会へ。テーブルの料理は長崎名物の「しっぽく料理」の一部。美味でした。
(更新日:2017年08月19日)