梅雨明け前の合間の久しぶりに暑い日曜日。汗をかきながら一日中走りました。
午前中は、紙屋川上流開き町豪雨被害の泥出し。紙屋川問題に取り組むみなさんと一緒に、畑や床下や倉庫に流れ込んだ泥をスコップと一輪車で河川敷へと運んだ。汗まみれになり、昼から予定があったので午後からは若者たちに任せた。泥はまだ大量に残っており、またボランティアに入ります。日程は追って連絡します。
自宅で休憩して、野党共闘にがんばる喫茶店に顔を出してから、議員団の仲間と19日行動に駆けつけた。久しぶりに福山和人節を堪能して、コール無しのサイレントデモに。加藤さんの逆さプラカードは愛嬌です。
デモを途中抜けして、日本軍「慰安婦」問題を記憶・継承する会の「インドネシアで「慰安婦」にされた女性たち」企画に参加。日本軍が敗戦濃厚な中でインドネシアで行なった理不尽で残虐な行為を許してはならないし、忘れてはいけない!
犠牲になった女性たちの証言と支援するみなさんの熱い思いに心がふるえた(写真はありません)
(更新日:2020年08月19日)
今日は7月16日。今から75年前の1945年7月16日、ニューメキシコ州の米軍射爆場でトリニティと名付けられた人類初の核実験が行われたことをご存じですか?
一方で7月16日は京都の祇園祭りの宵山。いつもならば、四条通り界隈は祭りの鉾が立ち並び、コンチキチンの鐘の音とともに祭りムードは絶好調。だが、今年はコロナ禍で祭りは中止、人通りもまばら。
ということで、河原町三条で「被爆二世三世の会」が宣伝行動を行い、私も会のみなさんや山田市議と一緒にアピールに立った。
トリニティの核実験に使われたのはプルトニウム作られた原爆。8月9日に長崎に投下するための実験だった。
これまで最初の核実験は8月6日に広島に投下された原爆だと思っている人が多いと思うが、実はトリニティが最初の実験だった。
そこから人類の核兵器との闘いが始まったのだ。
長い道のりだったが、2017年の7月7日に国連総会で核兵器について「非人道的な悪の兵器」として核兵器禁止条約が122か国の賛成で採択され、50か国の批准で国際法として発効することになった。現在40か国が批准しており、被爆75周年の今年のうちに発効することは確実。今はそのカウントダウンに入っている。
その思いを込めながら、ハンドマイクでアピール、ビラ配布、署名訴えを行った。
(更新日:2020年08月19日)

今年の国民平和行進、京都市内の通し行進はコロナ禍のため中止となり、恒例の網の目行進北上コースも中止。
そこで行進実行委員会のみなさんと相談して、11日に行進の代わりに北区コースのポイントでアピール行動を計画。
私は、三ヶ所でみなさんとアピールさせてもらった。
今年は被爆75周年。節目の年として、3年前の国連総会で採択された核兵器禁止条約を発効させる年にしたい。発効には50ヵ国の批准・調印が必要だが現在39ヵ国が批准・調印しており、年内発効は多いに期待できる。
その中で、唯一の戦争被爆国である日本政府が批准・調印を拒否している。情け無く許せないことであり、批准・調印するよう強く求めたい。
広島で被爆した父親が「あげーなむげーことをしちゃいけん」と言い残して逝った被爆二世として、核兵器禁止条約を発効させ世界から核兵器をなくすためにがんばりたい。
被爆二世三世の会が被爆者から聞き取った証言集が発行された。現在80人の方から聞き取った中で上巻として50人の方の証言を載せている。価格2000円プラス消費税。
ぜひ、みなさん購入してお読みください。
(更新日:2020年08月19日)
朝から雷、時折り激しい雨が続く。九州各地や東海・信州で豪雨被害の復旧に苦闘されている住民のみなさんに心を寄せ、復旧に奮闘される関係者やボランティアのみなさんに感謝しています。
昨日の夕方に、北部土木事務所から「国道162号線高雄付近の土砂崩れによる通行止めは、12日・日曜日の朝9時にはなんとか片側通行できる見込みです」との連絡が入った。聞けば事務所と職員のみなさんは24時間体制で復旧活動にあたっていただいたとのこと。
さらに、工事中の迂回路にした京見峠は危険回避のためにガードマンを配置して交通整理して大した事故やトラブルはなかったそうだ。
引き続き、国道の全面復旧や他の地域の復旧に全力を挙げてください。
私も来週になるが、雨の状況を見ながら金閣開き町の泥出しボランティアに入る予定。
(更新日:2020年08月19日)
今日も日本列島に梅雨前線が停滞し、朝から断続的に雨が降り続いている。九州地方は一週間以上雨が続き62人の死者が発生している。今なお復旧のめどが立たない家屋や道路がたくさん残されている。
そんな中、本日、本会議終了後の昼休みに党市会議員団全員で豪雨災害の被災地のみなさんに届けようと街頭救援募金活動をおこなった。場所は河原町三条前広場。
私もマイクを握って訴えた。「コロナの影響で暮らしも営業も経済も大変な時にこの豪雨被害。昨年の消費税増税と合わせて3重の困難が国民を襲っています。京都も他人ごとではありません。少しでも苦難軽減の力になれるよう募金を呼び掛けています。同時に自然災害多発の根本には、地球温暖化など儲け優先の政治が引き起こすゆがみがあります。政治の転換を求めてがんばりましょう。」と。
通行する人が次々とビラを受け取り募金箱にカンパを入れてくださり、短時間に一万円を超えるカンパが集まった。
私の目の前で、今時風の服装の若者三人がおもむろにポケットから千円札を出して募金箱に入れて立ち去った。とっても嬉しかった。
(更新日:2020年08月19日)
明け方、携帯のエリアメールが鳴り響き飛び起きた。
北区金閣学区に避難勧告が出された。いつもの紙屋川上流の氾濫常習地域である。
すぐに現地に向かった。なんということだ‼︎
泥水が溢れている。ここまで来れば河川敷は確実に浸かってしまう。
知り合いの家に向かうと、一階の裏まで溢れかえっている。同居しているお婆さんの身体が心配。
(更新日:2020年08月19日)
本日の赤旗日刊紙の記事。小池書記局長が6日の記者会見で「リニア中央新幹線事業の中止を」と求めている。その理由の一つとして「新型コロナ危機でテレワークやリモート会議などが広がり、一極集中の弊害が明らかになるもとで、・・・構想自体がコロナ後の社会にとって必要なのかが問われている」と指摘している。わが意を得たり。
昨日(6日)の京都市会7月特別市会において、コロナ対策の財源確保として提案された13億円の当初予算減額補正に関して、公共投資や公共事業のあり方について質疑した。
もともと不要不急でムダで環境破壊であり費用負担もわからない京都市のリニア新幹線誘致、北陸新幹線整備に係る本年度予算(210万円)がなぜ見直しされていないのか質した。
その際に、コロナ禍の下で市民生活と京都に密着でない事業であること、「東京・大阪間を短時間で結ぶ」「経済の活性化」を謳い文句にしてきたが、ポストコロナの下で新しい生活スタイル・働き方が求められるとともに新しい社会構造・経済体制を展望して「一路経済活性化」ありきでいいのか、との政治認識を聞いてみた。
財政当局も所管の総合企画局でも「リニアも北陸も不要不急ではなく必要な事業であり、見直すつもりはない」「210万円と額が少ないのでコロナ対策の財源にならない」という答弁。
ポストコロナの下での新しい社会経済スタイルについては全く答弁がなかった。
思考停止のままの行政でいいのか?!
(更新日:2020年08月19日)
久々に「忙中歓あり」。
市田副委員長の学習会で頭をクリアにした後は、古川豪さんに誘われた七夕コンサートに行って心を熱くした。
歴史のあるライブコンサート。今年はコロナ禍の中で心配やったけど、ソーシャルディスタンスで人数制限、マイクは専用にして、「さぁ、みんなで唄いましょう」を封印して開かれた。仕事の都合で三浦久さんは欠場し、豪さん、ラビさん、勇造さんの3人。
コロナ禍の時世で、豪さんは「遠距離トラック運転手の親を持つ子どもが、学校に来るなと言われた」と紹介して唄った彷徨いつづるヒッチハイクの唄は、ジーンときた。バンジョーの弾き語りも最高!
年齢を感じさせないラビさんの張りのある声も勇造さんのギターテクニックも最高!
帰りしな、会場のオーナー(だと思う)の方に聞くと「コロナで運営が大変やけど、クラウドハンティングでチケット予約をお願いしたら、遠くに住むファンの方が6万円分買ってくれた。みなさんに支えられてがんばる」と話された。
文化の火を消さない、とがんばる方々を応援していきたい。
(更新日:2020年08月19日)
金閣寺門前に店を構えるお好み焼き「大のじ」さん。
今年3月で市バス12号・59号の路線変更により、きぬかけの路にあったバス停が休止になり、観光客の流れが変わったのに加え、コロナ禍に伴い国内外の観光客の姿がばったり途絶え、お客さんが激減し、売り上げも激減。いまだにお客さんは戻ってこない、という。
二つの苦難に対し本人や地域から要望と実態が寄せられ相談に乗り、女将さんともすっかり懇意になった。
そこへ新たに浮上したのが、金閣寺が敷地内の七重塔「北山大塔」の基壇があったとされる跡地に観光施設の違法な工事を行い、観光客の便宜を優先し、文化財の保護をないがしろにしている大問題。TVニュースや新聞報道ですっかり話題になっている。
女将さんは、金閣寺の近くで生まれ育ち、営業しているだけに、この3連発に怒り心頭
(更新日:2020年08月19日)
2020年7月1日(水) 大本さんさよなら。安らかにお眠りください!
長年の友人であり「悪友」である大本さんが亡くなった。
この数年は肝臓癌とたたかいながら、6月に退院してからはベッドの上から最後まで弱者の生活と健康・権利を守る活動に頑張っていた。享年68歳、早すぎる死が悔しい。
私が民青の専従となり民青北地区委員会に赴任した時、青年らしからぬおっちゃんが事務所に顔を出していた。それが近所にある上京民商に勤める大本さんだった。
当時の民青北地区には専従が3人いて、年齢が近い大本さんとは気が合い、よく昼ごはんや夜な夜な西陣京極あたりをぶらぶらしたり、年末年始や盆休み、大型連休には小金を貯めて気ままな旅行に行って青春を謳歌していた。
懐かしい思い出が走馬灯のように蘇ってくる。
たまたま日曜日にお見舞いに行った時は、寝ていて話しができなかった。そしてそのまま眠るように目の前で旅立って行ってしまった。
昨日の通夜、今日の告別式で立礼に立って最後のお別れをさせてもらう。
(更新日:2020年08月19日)