活動日誌・お知らせ

2017年4月14日(金) 春の陽に誘われて鴨川ウォークを再開

 すつかり春めいてきたp(^_^)q

 そこで先週から市役所で昼弁当を食べたあとの鴨川ウォーキングを再開している。二条橋から鴨川河川敷に下りて、右岸を北上して、丸太町橋を渡り、左岸を南下して、御池橋まで。御池通りから市役所に帰る。これで約20分。

 今日は春の陽射しに浮かれて、荒神橋まで足を延ばした。鴨川の水面には鴨が水中に潜りながら遊び、土手には桜が満開過ぎてハラハラ散り始めて若者や家族連れが花見している。なんとかいう春の花も咲き始めた。

 ウォーキングに最高の季節がやってきた(^_−)−☆

(更新日:2017年04月17日)

2017年4月13日(木) トルコ・シノップ訪問報告会

13日、左京区にある「すみれやさん」で、守田敏也さんの「トルコ・シノップ訪問報告会〜日本からの原発輸出に反対して〜」に参加。

確か4回目となるドイツ訪問をパワーポイントで振り返りながら、チェルノブイリとフクシマを重ねて、トルコにロシアとフランスと日本が原発輸出を狙っていることを厳しく批判。

その日本の原発メーカーは三菱であり、フランスのアレバと組んで世界の増設を企んでいる。…
一方で、東芝が原発輸出に失敗して崩壊の危機にある。東芝になにが起きているのか?

東芝の元格納容器設計者である後藤政志さんと守田敏也さんのジョイント緊急講演会が、4月23日に開かれる。これを見逃す手はない!
午後6時半〜、ひとまち交流館にて、参加費1000円。

(更新日:2017年04月17日)

2017年4月10日(月) 民泊対応に関して緊急申し入れ

違法民泊が急増している。ところが市民が行政区の保健センターに民泊相談の電話をしても対応できない事態になっている。

 また、4月からの機構改革による集約化で新しく設置された医療衛生センターでも新たな体制が取れていない。

 これでは市民生活の被害に対応する緊急対応ができない。必要な事案にも事実上対策がとれないという事態はあまりにも無責任であり、市政の空白を生んでいる市の責任は重大だ。

 10日、日本共産党市会議員団として、必要な体制を早急に確立するよう強く求める緊急申し入れをおこなった。

 申し入れは、私と議員団民泊プロジェクトから西野佐智子、加藤あい、山田こうじ議員でおこなった。

 民泊に対する相談、問い合わせは党市会議員団およびお近くの党議員まで気軽にお寄せください。

(更新日:2017年04月17日)

2017年4月9日(日) 「文化で稼げ」(地方創生担当大臣)って?!

9日、文化庁地域文化創生本部の発足記念式典が開かれ、来賓として出席した。

文化庁移転に関しては賛否両論の様々な意見があり、私も諸手をあげて歓迎するものではないが、政府来賓として出席された山本幸三地方創生担当大臣の挨拶に違和感を覚えた。

大臣は「地方創生の目的は個人所得をあげること。地方創生で稼いでほしい。文化で稼いでほしい」と言われた。

文化庁移転にあたって、文化財の保護とともに確かに観光や産業との連携が指摘されており、経済界もそれを注目している。

しかし、露骨に文化を稼ぐ対象に唱える山本大臣の発言はいかがなものか?地方創生は単に地方が稼ぐためにあるのか?

前任の石破氏は、防衛大臣としての発言には納得できないことが多かったが、地方創生担当大臣としての話は関西広域連合の講演会で聞いた時は、地方創生路線に反対の私でも含蓄ある話だった。

自民党の大臣の劣化を感じたのは私だけだろうか?

(更新日:2017年04月17日)

2017年4月8日(土) 法律事務所党後援会、民主府政の会、孫

8日、小雨が続く中、昼にはコミュニティ嵯峨野で開かれた、日本共産党京都第一法律事務所後援会の総会&懇親会に出席して挨拶。

そのあと、民主府政の会全体会に出席し、京都市政の現状を報告し、「府の有権者の6割が生活する京都市政の転換を図る運動と連動して京都府政の転換を」と発言した。

さらに党の会議に参加し、自宅に帰ると6時を回っていた。さすが疲れたので孫の顔を見に行って疲れをいやした。

離乳食を食べるようになった孫だが、本当に美味しそうによく食べる。しかしどうも豆腐が苦手のようだ。野菜は美味しそうに食べるのだが、豆腐は「ぺぇっ」と吐き出す。しかも口の中でより分けて豆腐だけ吐き出す。赤ちゃんながら大したもんだ。

(更新日:2017年04月17日)

2017年4月7日(金) 250回目を迎えたキンカン行動

4月7日の関電包囲のキンカン行動。実に250回目のメモリアル行動。雨をついて多くの方が集まった。

この行動に集まるみなさんのエネルギーには頭が下がる。私もコールしてエネルギーをいただいた。

(更新日:2017年04月17日)

2017年4月3日(月) 市政報告やって「伝える力」不足を痛感

3日の夜のこと。とある会議で時間をいただいて2月市会の報告をした。

「市会を終えて声明」を使って運動による成果や論戦の特徴を話した。途中で共感や驚きの声も上がり、集中して聞いてもらった。

意見交換に移ると、「市長は儲けることしかかんがえてないのか」「斎場使用料の値上げの理由が受益者負担の原則なんて人のやること違うで。初めて聞いた。安心して死ねない」の声。

さらに、私の本会議質問と住民の情報公開請求で入手した大宮交通公園に北消防署を決める際の移転候補地の経過と市バス一日乗車券の値上げ問題の紹介に怒り心頭の声。

「北部地域の世帯増加に対応するためと言いながら移転先の候補地は現在地より南の地域が半分以上なんて騙しやないか!」と怒り。

さらに、一日乗車券の値上げについて、「喜んで使っているのになんで値上げなん?」の声。そこで逆質問してみた。「値上げについて今日初めて聞いた人は?」と尋ねると、なんと参加した30人近くの中で9割が「知らなかった」と、手を上げた!

交通局の「市バスの混雑解消と地下鉄への誘導」との説明を紹介すると、「えーっ。市民目線ちゃうやんか!」とますます怒り心頭。「敬老乗車証の改悪の動きはみんな知ってるけど、一日乗車券のことは知らなかった。もっと知らせてストップさせんとあかん」となった。

そのやり取りをしながら、党議員団の一般新聞広告やビラに書いていても、身近な方へ情報提供と暴露が届いていないことを思い知らされた(≧∇≦)

改めて伝える力を強めるために頑張らなければ、と決意した次第。

(更新日:2017年04月17日)

2017年4月2日(日) 連日の花見。今日は町内会の親睦

 昨日に続いて連日の花見。会場も同じく船岡山中腹の東屋。今日は町内会の集まりで、マンション住民と町内の交流をはかる恒例行事となっている。今年は6世帯で子どもを含めて15人の参加。桜はまだ蕾のままだが、昨日とはうって変わってお日様ポカポカの絶好の花見日和となった。

 各家庭の一品手作り料理の持ち寄りで、自分の家では味わえない料理が楽しめて、それがいい(^_-)-☆。それぞれ料理のレシピを紹介し合い、話も弾む。ビールは町内会から提供し、他のアルコールは各自の持ち寄り。しっかり飲んだ(^^♪

 東屋の隣は広場になっており、ごはんを食べた子どもたちは走り回って遊んでいる。それを横目に見ながら、世間話から子育て、食べ物、身近な政治の話がいっぱいできた。

 子どもをもつ方から「大宮交通公園のゴーカートがなくなるって聞いたけど、なくさない新しくしてほしい」「動物園がきれいになってうれしいけど、交通公園にも金をかけてキレイにしてほしい」。高齢の方からは「敬老乗車証でいろんなところに出かけている。乗るたびにお金を払うなんてやめてほしい」と。

 次の企画は5月の連休に、昨年に続いて春のバーべキューをすることにした。これは船岡山が火器を使えないので、町内にある診療所の庭をお借りする予定。楽しみだ(^_-)-☆

(更新日:2017年04月03日)

2017年4月1日(土) 「楽しく元気の出る活動」を花見で実践

 桜はまだ蕾だが、船岡山の中腹にある東屋で紫野地域後援会の花見を挙行。

 党支部としても楽しい支部活動のいっかんで、足腰が悪く外出の機会が少ない高齢の方にも声をかけて、私が車で送り迎えした。「船岡山に登ったのは何十年ぶり。街の景色も見られて良かった」と喜んでいただいた。

 美味しい弁当とビール、会員さんの手品など、寒さにまけずに楽しめた。終わりがけには陽もさしてきてた。

 もちろん、花見だからお酒も入るので、送りのほうは息子に頼んだ

(更新日:2017年04月03日)

2017年3月31日(金) 「あげなむげーことをしちゃあいけん」

 国連本部で開かれている核兵器禁止条約締結をめざす国際会議。非人道的兵器である核兵器を永久に禁止する画期的な会議である。

 日本政府が核超大国である米政府をはじめ核保有国を「忖度」して会議に不参加する恥ずべき態度を示す中で、被爆国からの政党代表として参加した日本共産党の志位委員長がすばらしい活躍をしている(連日の赤旗しんぶん参照)

 これに呼応して、31日、京都の労働組合、原水協、新婦人、宗教者などが三条河原町で「ヒバクシャ国際署名」の署名宣伝行動をおこなった。私も山田市会議員と参加し、スピーチしながら署名をよびかけた。

私はスピーチの中で、北健康を守る会の機関誌に投稿した父のことを紹介した。

 「私の父は72年前、学徒動員先の広島で入市被爆した2号被爆者です。一昨年1月に87歳で亡くなりましたが、父は被爆の話をあまりしたがりませんでした。話題になるのは、病院で治療を受けたり、入院をする際に「被爆者健康手帳(原爆手帳)があるけえ、医療費は無料になるんじゃ」という話くらいでした。
 その父が亡くなる半年前、実家に妻と子どもらと帰った時、突然「あげーなむげえことをしちゃーいけん」と当時のことを話し出しました。
 父は広島市内の工場に行きながら、呉の近くの職員寮に住んでいたそうです。8月6日は仕事が休みで、何人かの友人は広島市内に遊びに行き、父は寮で時間をすごしていました。そこへ「広島に新型爆弾が落とされたらしい」という情報が入ってきました。しかし、遊びに行った友人からはなにも連絡がありません、
 寮にいた者で探しに行くことになり、市内に入り被爆しました。その時の様子は、身体が焼けただれて皮膚がぶらさがったまま、歩く人たちがいっぱいだったそうです。その姿を忘れることなく生きてきたのか、それとも人生の最後になってフラッシュバックしてきたのかは不明ですが、この話をせずに死ぬことはできないと思った「父の遺言」ではないかと私は受け止めています。」

(更新日:2017年04月03日)